木彫漆塗の立像で高さ1.5メートル、作者は不明ですが南北朝時代の作風を伝える貴重なものといわれています。
天文14年(1545年)大田原資清(すけきよ)が大田原城を築城後、城の四方固めの一つとして、東方の中田原(なかだわら)湯泉坂のふもとにお堂を建てて祭ったものといわれ、朝日観音の別名があります。その後、お堂が荒廃したので不退寺本堂に移されました。(見学は要予約)