平安時代の末期、治承4年(西暦1180年)、那須与一と兄の十郎が、源の九郎義経の家来となって平家追討の旅に立つとき、その出陣を祝って、福原の領民が大勢で激励のもちをついて献上したのが始まりといわれています。毎年、与一弓道大会の日にあわせ、与一の墓のある福原玄性寺において、那須家の供養に奉納されています。

餅つき唄 (唄は正調)

那須の与一は三国一の   男美男で旗頭よ

福原の温泉林の八重桜    八重につぼんで九重に咲く

九重が十二ひとえにさくならば   温泉林は花でかがやく